2018年8月30日木曜日

祖父のこと

 戦争の番組や映画などは(歴史を知るべきだとわかっていつつも)苦手で、なるべく観ないようにしています。
 自分がその場にいて殺されるイメージに襲われますし、戦争のことを考えるとお先真っ暗な気持ちになり、そこから何日もドキドキして何も出来なくなってしまうからです。

 深夜、テレビをみていたら、戦争の特集番組が始まりそうだったので、テレビを切ろうとしたのですが…戦争の番組は戦争の番組でも、戦争孤児の話だったので、腰を据えて、番組の最後までみました。

 母方の祖父が、第二次世界大戦後、戦争孤児のための孤児院をつくったので関心があったのです。
 私が20歳のときに亡くなった祖父。晩年は同居もしていたのですが、威厳があるというか、私には「怖い」存在で、あまり話す機会もないままでした。しかし、いまになって、祖父のことが気になり、祖父のことを考えることが多くなりました。

 私が聞いていたのは、祖父が、私財を全てなげうって、孤児院をつくったということだけで。最初の頃は東京から戦災浮浪児を家に連れて帰って来ては、自分はまた東京に出かけてしまうので、娘である母は並々ならぬ苦労したということでした(家の物を盗んで浮浪児に戻ってしまう子も続出だったそうです)。なぜ祖父が私財をはたいて家族に苦労をかけてまで、そこまでのことをしたのか、若い頃の私には正直、不思議でした。
 オトナになって、少し祖父の気持ちがわかる気がしはじめていたものの。テレビをみて、戦後当時、私の想像などはるかに越えて壮絶な状況だったことを知りました。
 親を亡くした子どもが行き場がなく、悲しみに満ちているところまでは想像ができましたが…その先も生きていくためには、劣悪な状況での浮浪生活が続き、食べるものもなく、多くの子どもが飢えや病気で亡くなったとか。社会からは虐げられ、生きるために犯罪に手を染める子も。戦後…戦争は終わっているのに…長い間、そういった子ども達が国からも社会からも見放されていたというのです。
(『火垂るの墓』に涙しつつ、現実としての想像が足りなかった自分を反省。)

 当時を乗り越えた当事者の方々に話を聞く番組でしたが、そのうちのひとりの方が
「大人は誰も手を差し伸べてくれなかった。ひとりもそんな人がいなかった」
とおっしゃっていたのが、深く心に刺さりました。
 そんな大人になりたくない(子ども目線からみたときに)、…たとえば祖父は、強くそう思ったのではないでしょうか。

 祖父の心の中はわかりませんが、何もせずにはいられなかったのですね。子どもを守る制度などひとつもない中(だからこその祖父の行動)、人の命を受け入れるのですから…持てるものをすべてつぎ込んだわけですし、祖父も相当の覚悟だったことでしょう。そして、すべての子どもを救えるわけではない葛藤など、いろんな気持ちがあっただろうと察します。
 亡き母もその血を継いでいるからでしょうか、どんな人にも分け隔てなく接し、公私にわたって困っている人の世話ばかりしていた印象です。祖父には、当時それができるだけの財が少しばかりあったこと。母には、その才があったこと。私には気持ちはあってもいずれも難しいことで、それができた祖父や母がちょっぴり羨ましくもあります。
 実際に誰かの助けになるようなこと、私にはできるかどうか…ですが、祖父や母を、こんな大人もいるんだという身近な見本として、私は私なりに「そんな大人になりたくない」と思うこと、貫きたいと思ったのでした。

2018年8月26日日曜日

母の一周忌

 先だって、ごくごく身内だけで母の一周忌法要をしました。
 
 昨年、母が亡くなり、病気だったのである程度の死期はわかってはいたものの、予想以上に突然だったので…人が亡くなるときってそういうものなのでしょうけれど、葬儀や供養のこと、わからないことだらけで慌てることばかりです。
 本人が生前より、葬儀は家族葬にすることと、お墓は樹木葬(お花が咲くところ、とくに桜を希望)にしてほしいと希望していたので、希望に添うようにしました。
 そんなこともありまして、供養に関しても…そのときになってその都度調べて、というありさまですが…あまり慣習にはとらわれず家族だけでこじんまりと、しかし母が喜びそうな供養を心がけています。

 とくにお墓は、何の準備もしていなかったので四十九日には間に合いませんでしたし、もう少し一緒に過ごしたかったのもあって、お骨は自宅に置いたままでした。その間に希望に合う樹木葬地を探しまして、一周忌を機に、樹木葬のお寺さんに納骨と一周忌法要をしていただいたのです。

 人は亡くなったあとは自然に還るという考え方で樹木葬を奨励されており、手厚く永代供養していただけるうえ、檀家などとも関係なく宗教も不問で募集されているところが気に入りました。境内にある墓所を見学させていただいたときに、一目惚れ。父も姉も満場一致で、ここしかないと思いました。
 しかも、ウチの家自体は宗教も宗派もないのですが、両親にも昔から馴染みのある、実家の舞鶴での地域のお寺さんの大本山でもあって、勝手ながらご縁を感じています。
 墓所も陽当たりが良くて明るく、美しい境内は庭仕事がお好きなご住職自ら手入れされていて、年中、何かしらお花も咲いているようです。また、京都の古いお寺さんなので様々な歴史の舞台でもあり、歴史や文学、お花や植物が大好きだった母は喜んでくれていると思います。今後、墓参りをするのも楽しみです。母のおかげで、素敵なご縁ができたことに感謝です。
  納骨式も法要も、とても丁寧で心あたたまるお式をしてくださって、本当に感激しました。満足のいく形で母と二度目のお別れができました。

 母が自ら希望していなければ、家族葬や樹木葬を選んだかどうかわかりませんでしたが、 色んな供養の方法があること、とても素敵だと思うことが多いです。そんな希望をのこして逝った母のこと、亡くなってからも母から教わることが多くて、どんどん新しく、母のこと大好き!って思います。

 最近、テレビなどでもよく終活の特集をやっていますね。自分が死んだら、どうしてほしいかな、と考えます。お墓は持たず、海に散骨を希望する人が増えているとか。それも素敵だけど私はカナヅチで水が怖いので(^^;)やっぱり土に還りたいかな。(散骨が許される)どこぞの森に散骨してほしいかな!
 野生動物がいる森の、植物の栄養になりたいです。葉っぱになり、花になり、実になって、草食動物に食べてもらいたいです。…そうできたら素敵♪

2018年8月16日木曜日

灯籠流し

今日は京都では五山の送り火(大文字焼きと言った方が伝わるでしょうか)。先祖の霊が明るい道を帰れるよう、お見送りをする日です。
 いつもは見物するだけでしたが、今年は嵐山の灯籠流しに初参加してきました。

 受付で灯籠と水塔婆を購入すると、お坊さんがそれぞれに母の戒名を書いてくださいました(自分で書くこともできるのですが、お坊さんに書いてもらったほうが文字に性根が入る気がする)。灯籠はそこで預けて、順番に川に流してもらいます。その後、川施餓鬼法要祭壇で焼香をして水塔婆を供えます。のちに近隣のお寺さんが持回りでお焚き上げをしてくださるそうです(ちなみに今年は清涼寺さんらしい)。

 五山の送り火と、美しい灯籠流しが一緒に見られるので、嵐山が1年のうちで最も大勢の人で賑わう日でもあります。
 たくさんの灯籠が流されるので、母の灯籠がどれだかまるでわかりませんが、それぞれの灯籠ひとつひとつに、多くの人の想いがつまっているのだなぁ、と改めて。母も寂しくなく向こう岸へ渡れたのではないでしょうか。
 ちなみに嵐山近辺では…五つの送り火のうち、この右側に左大文字、左側に鳥居の絵柄の2つの送り火が見れます。

 華やかだけど、ちょっともの悲しい雰囲気で京都のお盆が終わりました。

2018年8月13日月曜日

お盆

お盆ですね。母の初盆。盆棚を用意して、母が好きだったものなどを並べてお迎えをしています。
 住宅事情により、大きな盆提灯などは置けないのですが、素敵な和風のキャンドルホルダーを見つけたので、提灯の代わりに灯を灯しています。

 右の筒の灯りは、和紙を切り絵にして筒にして、中にLEDキャンドルを入れてみました。せっかく絵描きなので得意分野である切り絵の自分の作品を母の供養にも取り入れようと思いまして…。和紙をカッターで切るのは難しくて、あまり納得のいく出来にはならなかったのですが…棚の最上段に、キャンドルホルダーと切り絵を2つずつ、位牌を真ん中に対にして並べて灯りを灯すと、なかなか良い感じです。
 そんな感じで、母を迎えつつ、ゆっくりと過ごせています。
 お盆休みがとれているみなさまも、とれていないみなさまも…こころ休まるお盆になりますように。

 関係ない話題ですが、今日は関東地方を中心に雷雨が激しかったようですね。京都も夕方に激しい雷雨があり、何度か細かく停電がありました(都度、すぐに復旧しましたが)。停電になると、トイレが使えないことが判明。たとえば災害時などに上下水道が大丈夫だったとしても、停電すると使えないんだなぁ。最近は何でもかんでも電気制御なので、最新式のものはダメですねぇ。