2018年7月7日土曜日

紙一重

 降り続く大雨。いまはちょっと小康状態で、静かな夜を過ごしています。
 このたびの大雨で被害のある方には、お見舞い申し上げます。
 ニュースで渡月橋の映像が流れるので、たくさんの方からご心配いただきましてありがとうございます。私は大丈夫ですよ〜!
 桂川の渡月橋近辺は、景観重視で護岸整備されていないので、ときどき氾濫するんですよ。渡月橋は、近隣住民には生活道路なので、通行止めになると困るんですけどね。それでも頑なに自然のままに護岸整備しないところが個人的に気に入っております。

 ちょうど大雨で渡月橋が通行止めになる前夜、考え事をしながら渡月橋を眺め、夜の桂川の流れに癒されていたところだったので…自然の癒しと脅威の二面性、紙一重なことについて…感慨深いものがあります。どちらも大切に感じたいものです。
 そして、住宅地などは概ね大丈夫だとはいえ「経験したことのない」大雨が今後も続いたりすると、何が起こるかわかりません。引き続き警戒は必要ですね。
 全国的なもののようですから、みなさまもどうぞお気をつけくださいね。

 昨年、母が亡くなってから死を身近に考えるようにはなっていたのですが、最近、生き死にについてちょっと考えることがありまして。ちょうどそんなとき、先日、高校時代のクラスメイトが急死したとの知らせがきました。
 にわかに信じがたいまま、日帰りで地元に帰り、葬儀に参列してきました。勤務中に職場で突然意識を失い、すぐに救急搬送されたものの、そのまま意識が戻らず、8時間後に旅立ったそうです…。
 高校時代から、みんなの太陽みたいな存在でした。万人を愛し、万人から愛されるような人でした。なぜそんな彼女が旅立たねばいけなかったのでしょうか…。いのちとは、かくも儚いものなんでしょうか。生と死とは、薄いオブラート1枚ほどの隔たりくらいしかなく、常に隣り合わせなのかもしれません。

 彼女の葬儀のあった夜ですよ、京都に戻って桂川で水の音を聴きながら、ひとりそんなことを色々と色々と考えていたのですが。こんどは自宅にて、ひたすら叩き付ける雨音と頻繁に鳴る携帯の避難勧告のエリアメールの音を聞きながら、色んなことを考えます。
  生きていくために必要な水も、一滴一滴の水も、形を変え、人間の心の乱れを静かに洗ってくれもすれば、すべてを飲み込んでしまったりもする。それはそれは、人間には抗えない力で。
 生き死にについてや、自然の理についてなど思いめぐらせていると、日常、些末なことで悩んだり、目の前のことにあたふたしているのがくだらないことのようにも思えます(それもとっても幸せで愛おしいことでもあるんですけどね!)。

 先に逝ってしまった大事な人たちの、いのちの重みを感じつつ、生と死が常に隣り合わせだからこそ、いま、自分が生きている奇跡を大切にしたいと思う今日このごろ。そんな気持ちを忘れないように生きていきたいです。